オリンピックの幻影は消し去りましょう

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

何事も永遠に続くなんてことはあり得ません。
その昔(昭和30年~40年台)、大みそかに人々は家庭で年越しそばをすすりながら、
この1年を振り返りつつ、TBSのレコード大賞を見て、「ああこれが今年のNo1の曲か」と
妙に納得したり、その後はNHKの紅白歌合戦で、男性陣と女性陣の丁々発止のやり取りに加え、
オールスターが皆さん今年のヒット曲を歌うのを聞きながら、除夜の鐘へと進みました。
正に「三丁目の夕日」の古き良き昭和です。

その後、私が少しづつ年を取るにつれ、それまでレコードが一番売れた曲が受賞するものだと思っていた
レコード大賞が必ずしもそうではなく、しかもTBS以外の局が「日本歌謡大賞」とか類似の企画を次々に
始めるに至って「日本レコード大賞」の権威は地に落ちました。
その間にも審査員の買収疑惑なんてこともまことしやかに週刊誌に出たりして、ますます劣化していったわけです。
他局の「大賞」はその後淘汰され、今では「有線放送大賞」くらいでしょうか、残っているのは。
しかし今では「レコード大賞」をだれそれの何とかという曲が受賞とか言われても、「あ、そう」レベルです。

紅白歌合戦も第35回1984年までは平均視聴率が70-80%というお化け番組、というか大みそかはこれ一択だったものが、
それ以降は30-40%台をウロチョロと言う感じです。

これは一つにはそれまで一家に一台だったテレビが複数台になり、更に近年ではパソコンやスマホの普及で、
人々の好みが多様化したことが大きな要因です。

昔は家族そろって巨人の野球を見て、ジャイアント馬場のプロレスを見て、大河ドラマ・紅白歌合戦を見るという
日本人の画一化された行動パターンが徐々に崩れてきたわけです。
永続する価値なんてないということです。
プロ野球のTV放送も徐々に追いやられ、今や地上波のプロ野球中継なんてほとんどなく、地上波のゴールデンタイムは
タレントがバスに乗って地方のおいしいものを食べるなんて番組に席巻されています。
プロ野球放送はBSでちょぼちょぼ、あとはCS放送です。
V9時代からの巨人の絶対的な強さが弱まるとともに、他チームも(特にパリーグ)その球団のアピールにまじめに力を入れ、
プロ野球ファンが分散し、また好みの多様化で他スポーツでショーアップされる競技も増えています。

さてオリンピックです。
古代オリンピックは紀元前9世紀ごろギリシャを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事として発生したようです。
その後有名なクーベルタン男爵が中心となり1894年に国際オリンピック委員会(IOC)が発足、1896年の第1回オリンピック
アテネ大会が近代オリンピックの誕生で、中断などもありながら、今に続いているわけです。
このIOCの巧みなところはほぼすべての競技をその支配下に置いたことです。
これによって各競技団体の国際組織、その下に(例えば)日本の柔道連盟とかがいる、完全な組織のピラミッドを
作り上げたことです。
IOCの言いなりになっていないのは国際サッカー連盟(FIFA)、ラグビー・ゴルフくらいでしょうか。
英国発祥のスポーツが多いように思えます。
基本プロ競技がしっかりしている競技はIOCにそれほど媚びておらず、アマチュア競技(柔道とか)は完全に
IOCの傘下に組み込まれて、IOC様の言いなりです。

確かに4年に1回開催されるオリンピックで世界No1を決めることに意義はあるのでしょう。
しかし4年に一度です。競技によって(選手によって)その絶頂期が短く、オリンピック開催時にはトップの位置から
滑り落ちていたなんて悲劇もままあります。
何十・何百もある競技選手が一堂に会することにも疑問を感じます。
IOCなんてNPOという隠れ蓑を被った金の亡者たちとは決別して、各競技団体が毎年ワールドカップみたいな世界選手権を
開いてその年の世界一を決めればよいではありませんか。
水泳選手と陸上競技の選手が同じ選手村に滞在し交流を結ぶのも大切かもしれませんが、このコロナ禍で、
なるべく人と人は接触するな、とか阿呆なJOCは記者団や選手までGPSで行動を監視しようとしています。
これでは北朝鮮と変わりません。

このコロナが原因で世の中のいろいろな基準・規範・ルールが変わりつつあります。
オリンピックなんて時代錯誤なイベントはもう退場願ってもの良いのでは。

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています



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