北尾光司氏死去 相撲協会のあり方について

北尾光司氏が死去しました。
1963年8月~2019年2月 55歳でした。
北尾氏は中学卒業後、相撲部屋に弟子入り。
199cmの長身と長い手を利用した突っ張りで、
22歳11か月で第60代横綱に昇進しました。
時期としては北の湖の最後期から千代の富士の最盛期にあたります。
当時千代の富士の一人横綱であったため、慎重論も多い中、
二場所連続準優勝で、横綱昇進が強行されました。

もともと不動産会社の社長を父に持ち、甘やかされたうえ、
超金の卵として、親方も厳しく指導せず、横綱になり我がままぶりが助長されたようです。
とうとう一度も優勝しないまま、1987年12月親方(及び女将さん)とけんかの上、
部屋を飛び出しました。
相撲界では破門同然の廃業という処分を取られています。
その後プロレスラーになったり、プロ格闘家・冒険家などという職につきましたが、
いずれも成功を収めることはできませんでした。
自業自得とはいえ、気の毒な生涯でした。

本日の主題は、スポーツ界の若者の教育についてです。
以前にも書きましたが、プロ野球界では高校生をある意味おだてすかして、
高校生にとってはとんでもない金額を契約金や年棒として渡す約束をして
入団させます。
そしてその選手が怪我をしたり、プロで通用しなくなると、20歳代の若者を放り出します。
球団側からすれば、当然の市場原理でしょうが、元はまだ10代の青年です。

しかしプロ野球はチームスポーツですから、まだ甘やかすといっても限度があります。
一部、清原のように首脳陣もあまり強く言えなかった例外はありますが、あくまで例外です。
しかし相撲は個人競技です。
勝てば大将です。
部屋頭イコール部屋の稼ぎ頭ですから、必然的に親方も強く出れなくなります。
白鳳が良い例です。
本来なら人格者たるべき横綱が、甘ったれがそのまま大人になったような北尾の場合、
親方がその指導を間違えたのは双方にとっての不幸でした。
大相撲の部屋制度と言う、狭い世界の中で純粋培養される若者は気の毒です。

最近は世界各国から若者が相撲界に入ってきています。
言語も習慣も常識もまちまちです。
その中で大砂嵐のような事件が起きたり、朝青龍のようなとんでも横綱が生まれたりしています。

一見しきたりや礼儀にうるさそうな相撲界ですが、内情はいかがなものでしょうか。
貴乃花親方が相撲協会の改革を訴えましたが、潰されました。
大部分の関係者は相撲協会内にぶら下がっていることが、楽であり、儲かるのでしょう。
個人競技であり、その最高峰である横綱にはとてつもない特権が与えられる世界だからこそ、
相撲協会は身を正し、中学卒業からこの世界に入る若者の教育と引退後のあり方にも
万全のケアを行う義務があると考えます。

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています

 

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