球団の変遷3 芸能関係

おはようございます。 ヤクルトけんちゃんです。

大阪なおみが全豪オープンでベスト4進出です。今朝のニュースでは彼女がランキング1位になる可能性を論じてましたが、どうなることでしょう。

昨日はプロ球団と鉄道会社の関係を述べましたが、鉄道会社がプロ球団を持つことは意味がありました。
不思議なのは映画会社がプロ球団を持ったことです。
有名なところでは東映です。それまで東急電鉄の東急フライヤーズを映画制作会社の東映(実は東映ももともと東急電鉄が大株主でした)が買収73年に日拓ホームに売却するまで続きます。東映フライヤーズは62年に水原監督のもと尾崎行雄・土橋正幸・張本を擁しリーグ優勝を飾ります。
日拓ホームは1年も持たず、日ハムに球団を売却、今に続きます。

松竹ロビンスという球団が50年から52年に存在しました。松竹は映画の制作会社ですが、現在では歌舞伎界の興行はほぼ独占的に扱っているようです。
この松竹ロビンスは52年に大洋ホエールズ(現在のDeNA)に吸収合併されました。

その他では大毎オリオンズがありました。正式名称は毎日大映オリオンズです。
それまで毎日新聞のチームであった毎日オリオンズに57年に映画制作会社の大映が加わり毎日大映オリオンズとなりました。東京を本拠地とするチームでした。
永田らっぱと呼ばれる大映永田社長が球界を大いにかきまわしたものでした。
57年に毎日新聞が手を引き、69年にロッテがスポンサーに変わり、ロッテオリオンズに代わるまで続きます。

今の若い方には想像もつかないでしょうが、昭和30年代ころまではTVがやっと出始めたくらいで、庶民の娯楽は圧倒的に映画でした。
他の娯楽が野球にせよ演劇にせよその場へ行かなければ楽しめないのに比べて、映画は全国津々浦々、自分の町の映画館へ行けば、(石原)裕次郎でも(高倉)健さんでも若大将(加山雄三)でも見れるわけです。黒沢明という巨匠の存在も大きかったですな。戦前・戦後を通じて映画界は大監督・大スターを輩出しました。
ネットもなく、TVの普及がまだまだであった時代に安価な娯楽として(今は映画は決して安価ではありませんが)
庶民はこぞって映画を見て、従って映画制作会社はもうかっていたのでしょう。いわばバブル状態だったと思われます。
その中で当時の映画製作大手である、東宝・東映・日活・松竹・大映のうち3社がプロ球団経営に参加しました。
今は昔です。

明日はマスコミ編を書きます。

カウントダウン: ヤクルト オープン戦スタートまで31日

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの昨年の球団別の選手成績を参考にさせていただいています。

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