球団の変遷4 マスコミ関連

全豪オープンで錦織選手は負けて、大阪選手は準決勝に進みました。
錦織選手、35度のオーストラリアで連日の長時間の試合、厳しかったようです。
大阪選手、ランキング1位目指してください。

さて球団の変遷も最終回です。
現在の12球団中、初めからスポンサーが変わっていないのは、読売ジャイアンツ(スポンサーは読売新聞)、
中日ドラゴンズ(スポンサーは中日新聞)、阪神タイガース(スポンサーは阪神電気鉄道)、
広島東洋カープ(市民球団という位置づけは変わりません。途中からマツダ(東洋工業)が一部入りました)
以上4チームは半世紀以上に亘り、テリトリーを守り続けています。
以上の中で、巨人と中日はマスコミがスポンサーです。

他では前の記事でも書きましたが、ロッテの前身である大毎オリオンズのスポンサーは毎日新聞でした。
DeNAの株主にはTBSが入っています。

それでは我がヤクルトの変遷を見てみましょう。
1949年に日本国有鉄道(今のJR)が国鉄スワローズを立ち上げました。
スワローズの名称は当時の国鉄の最速特急が「つばめ」だったことからきているようです。
64年にフジサンケイグループに経営権が移り、名称もサンケイスワローズに65年から変わります。
ここでヤクルトのスポンサーもマスコミ(フジテレビ・産経新聞)に関わります。
更に66年には当時人気絶頂だった手塚治虫の鉄腕アトムから名を借り、チーム名はサンケイアトムズに変わります。
70年には経営権がヤクルトに移り、ヤクルトアトムズになり、73年には虫プロの倒産に伴い、
ヤクルトスワローズと旧愛称のスワローズが復活しました。
そして地域密着型球団として、06年から東京ヤクルトスワローズとなりました。
ということで、ヤクルトはその70年の歴史の中で、鉄道会社の球団から始まり、マスコミの球団を経て、
飲料メーカーの現在に至ります。

こうして見ますと、プロ野球チームを持つということはその時のオーナーのステータスであり、ある意味道楽でもありました。すると、そのオーナーの鶴の一声で、監督の首が挿げ替えられたり、チームが変な方向に曲がっていったりします。
少なくないチームが球団単体では赤字で、スポンサーからの支援がないと続けられない以上、やむを得ないことかもしれませんが、広島のように球団が様々な努力・集客アイデアを駆使し、球団単体でやっていけるようにすることが、ひいては野球界の発展につながると思います。

カウントダウン: ヤクルト オープン戦スタートまで30日

 

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの昨年の球団別の選手成績等を参考にさせていただいています。

 

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