転職で大成功

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

日本は戦後長く続いた終身雇用・年功序列制という日本の成長モデルの原動力となった雇用制度が崩れつつあり、転職がかなり普通のこととなり、テレビでは転職斡旋企業のコマーシャルが頻繁に流れており、それを見ていると転職が当たり前というか、転職しないと損、という気にさえさせます。

その転職も様々な形がありますが、基本は今までの自分のキャリアを生かすものです。
技術者が他社でも技術者として働くなんて形です。
しかし中には全然違う職種で第二の人生を歩む方もいます。
それまで事務職だった方が営業職になるなんて形です。

それではわがプロ野球業界ではどうでしょう。これまでずっと野球選手として生きてきたわけですから、当然その能力を生かした第二の人生が望まれます。FAやポスティングによる移籍は本人の希望による職場の変更です。やることは同じ野球ですから大した違いはありません、せいぜい住む場所が日本からアメリカに変わるくらいです。
どうしても自分が今まで磨いてきた野球の技術に執着があるわけで、所属球団から戦力外を言い渡されてもトライアウトで他球団に移籍したり、それもかなわないときにはBCリーグに所属球団を求める方々もいます。
中には昨年で引退した東京大学卒のヤクルト宮台投手のように、(自信もあるのでしょう)野球業界とすっぱり縁を切り、弁護士を目指すなんて方もいます。

我々のようなサラリーマン人生と違いプロ野球選手は早いと20歳代前半で戦力外になったり、ヤクルトの石川投手や青木選手のように40歳を過ぎてもバリバリの現役の方もいますが、基本30歳を前にリストラされるのがほとんどです。

そういった中で野球選手から転身して大成功したアスリートがいます。
一人はプロレスのジャイアント馬場です。(1938年生まれ)
1954年高校2年で巨人にスカウトされたが、一軍実績は1957年の3登板、1先発、7回を投げ1敗、1.28のみで、1960年に大洋(現在のDeNA)に移籍の矢先転倒による大怪我で野球選手としてのキャリアを断念、その後日本プロレスの力道山に見いだされ、その巨体を生かし大活躍、トップレスラーとなり、その後力道山が凶刃に倒れた後の日本のプロレスの屋台骨を背負ったわけです。

もう一人はジャンボ尾崎です。(1947年生まれ)
尾崎選手は1965年に西武ライオンズに入団しましたが、67年に退団、プロゴルファーに転身します。
ジャンボ尾崎となってから111回のツアー優勝(これは世界記録)、12回の賞金王となりまさに20世紀の日本ゴルフ界を牽引しました。

上記2選手と変わらない大成功例は女子ゴルフの岡本綾子です。(1951年生まれ)
岡本選手は1972年まではソフトボールの選手(実業団所属)でしたが、73年(22歳)でゴルフを始め、62回のツアー優勝、日米で賞金女王になるという大変な功績を残しました。

プロレスやゴルフの世界が甘くて、プロ野球やソフトボールの世界の方がレベルが高いなんて思いません。特に昔は男子のアスリートで秀でていると相撲か野球くらいしかお金を稼ぐ道がなかったわけで(前述の力道山も前身は相撲取りです)、ましてや女子アスリートがお金を稼ぐ道なんて昔はほとんどありませんでした。よころがその業界に向いていなかったのが、自分にピッタリ合う業界を見つけられたということで、彼らは幸せな人生を歩んだわけです。

毎年多くのプロ野球選手が20歳代で戦力外になり球界を去っているわけですが、彼らも必ず自分にぴったりとフィットする職種があるはずです。第二の人生での健闘を祈ります。

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています

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