選手のピーク 投手編

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

ヤクルトには石川投手や青木外野手のようにアラフォーになってもレギュラーとしてばりばり(とはいきませんが)
頑張っているレジェンドもいます。
一方以前のブログでプロ野球選手(野手)のピークは20歳代後半と書きました。
今日はヤクルトの投手でそのピークがどうだったかを見てみましょう。
ヤクルト(国鉄時代を含め)には金田正一というそれこそ伝説的な投手がいます。ただしこの方は王貞治選手同様
凄すぎてそのピークを探るサンプルにはなりそうもないので、そのほかの歴代ヤクルトですごかった投手を見てみましょう。

金田投手に次ぐレジェンド投手と言えば松岡弘投手です。
松岡投手は高校・社会人から67年のドラフトで5位指名で入団(20歳)
68年~85年までヤクルトで活躍しました。トータルで191勝。
そのキャリア中71年~83年で10度の二けた勝利。72年からは17勝、21勝、17勝、13勝、17勝を挙げています。
78年にヤクルトが初優勝するまでのセリーグのお荷物球団を支えたエースでした。
この72年間からの5年間は25歳から29歳、まさに20台後半がピークでした。

つぎは伊藤昭光投手です。やはり高校から社会人を経て85年ドラ1、22歳でした。
86年から98年の12年間のキャリアで87勝76敗。
88年に18勝で最多勝を受賞。伊藤投手25歳時です。

現役時代「大ちゃん」の愛称でアイドル的な人気のあった荒木大輔投手です。
荒木選手は早稲田実業のスター投手でしたが、82年のドラフトで巨人と競合したヤクルトが1位指名に成功しました。
当時ヤクルトはくじ運が強かったというか、巨人は当時からくじ引きに弱かったようです。
荒木投手は83年から94年までヤクルトで、96年には横浜に移籍し、通算で39勝49敗でした。
85年から87年には100イニング以上投げ、85年の6勝、86年8勝、87年の10勝がピークでした。(21歳~23歳)
その後は故障に悩まされ、思うような活躍はできませんでした。

最後は川崎憲次郎投手です。高校から88年のドラ1で入団。
89年から00年までヤクルトで活躍、2000年にメジャー行きにチャレンジ、うまくいかずFAで中日に移りましたが、
中日では故障で活躍できずに終わりました。
この投手は怪我が多く、90・91.93・98年に二けた勝利。
90・91・93・94年97年―00年には100イニング以上を投げています。
中断期間がありますが19歳から29歳と中断期間故にピークが長かった。
しかし98年は9完投、3完封、17勝で最多勝で絶頂でした。(27歳)

ヤクルトの場合どうしても好投手としてのサンプリングが少なく、そのピークを図り辛くしていますが、
やはりプロ野球選手は20歳代半ばから後半がピークというのは動かせません。

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています

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