関根潤三氏逝去 元祖二刀流選手

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

あの関根さんが亡くなりました。
選手としては主に近鉄で活躍され、しかも私がヤクルトファンになる前の時代の選手で記憶にありません。

私の中で関根さんと言えば、1987-89年にヤクルトの関根監督の姿とその前後に野球解説者として独特の
甲高い声でソフトな解説する関根さんです。どこぞの江本解説者のようにえばる・自慢する・けなすと聞いていて
気分の悪くなるような解説とは違い、聞いていて気持ちの良い解説でした。

ヤクルトの監督としては3年間で4位5位4位でしたが、その後を引き継いだのがノムさんで、ノムさんが
ヤクルトの黄金時代を築いたことを思えば、その黄金時代の基礎を作ったと考えても良いでしょう。

ところで、先ほど言いましたように関根さんの選手時代はよく知らないのですが、今回調べてみて驚きました。
まず大リーガー大谷選手の大先輩の二刀流だったことです。
打者としては1950年から1965年(当初近鉄の選手でしたが、最後の1965年だけ巨人でプレーしています)の
16年間で4509打席1137安打59本塁打424打点 .279 まずまずの大砲というよりアベレージヒッターです。
投手としては1950年から8年間で65勝94敗 3.43でした。
当時の近鉄は弱かったので、大きく負け越しているのは仕方ないでしょう。それよりも防御率 3.43は立派です。
もっと驚くのは勝ちが65勝なのに87完投していることです。
ほぼ毎年20から30試合先発しています。
今の投手なら完投数が勝ち星を上回るなんてありえない現象ですが、当時はリリーバーなんていませんから
基本、投手は先発したら終わりまで投げるのが基本だったようです。
関根投手は244試合登板し157先発です。その差の87試合は先発が崩れたときのリリーフということでしょう。
プラス打者でも頑張っていたわけで、元祖二刀流素晴らしい選手でした。

二刀流と言えばヤクルトにもいました。
外山義明選手です。
1969年にドラフト6位で投手として入団、左のスリークォーターという変則で、70年は4勝10敗 3.39と最下位だった
チームでルーキー頑張りました。
翌年「三原マジック」と言われる奇手をいろいろと編み出した三原監督になると、その打力を買われ
二刀流となり、投手以外に外野や代打を務めました。
3年目にロッテにトレードされましたが、投手としてのキャリアは74年までで9勝22敗でしたが、
その後南海に移り打者として78年までプレーしました。
元祖二刀流の関根さんがヤクルトの監督を務めただけではなく、二刀流選手も過去にはヤクルトに存在しました。

ヤクルトには変形の二刀流ですが、雄平選手がいます。投手としてドラフト1位で入団、7年間で18勝19敗1セーブ17Hと
投手としては余り成績を残せませんでした。
8年目から本格的に打者に転向、今やヤクルトの堂々たるクリーンナップです。
投手である程度実績があり(10勝以上)それから打者に転向し成功したのは珍しいケースです。

関根さんに献杯。

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています



2件のコメント

  • 昔は二刀流も珍しくなかったんですね。

    • ヤクルトファン様
      度々コメントいただきありがとうございます。
      私は毎日1記事書くことを心がけておりますが、最近のコロナによる休止状態で、
      プロ野球はおろか、全スポーツがストップしてしまい、毎日の記事のネタに苦慮しています。
      その中で、あなたのような記事を見ていただいているお客様は大変張り合いになります。
      今後ともよろしくお願いします。
      ヤクルトけんちゃん

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