ドラフト下位指名 大矢明彦

いよいよ本日は運命のドラフト会議である。ヤクルトけんちゃんです。
マスコミは一位指名がどうなるかで大騒ぎである。
(ヤクルトはやはり根尾指名らしい???)
一位指名された選手は契約金1億とかなるが、(こんなことを言って申し訳ないが)下位指名選手はほとんど
見向きもされない。
実際球団の方針としては捕手などの穴埋め的な補強が多く見受けられる。
そこで本日はあまりスポットが当たらない下位指名(本日は4位以下に絞って)で輝いた人をピックアップしてみた。
1966年第1回のドラフト8位指名 武上四朗(二塁手、けんか四朗の異名、ヤクルトの監督も務める)
9位浅野啓司(通算86勝)、
67年5位松岡弘(ヤクルトの絶対エース、私は金田に次ぐと思う)
69年7位大矢明彦(古田の前の、主戦キャッチャー、後監督)
8位内田順三(左の名バッター)
70年8位会田輝夫(サブマリン投手)
10位杉浦亨(左の強打者、初優勝時のクリーンナップ)
71年6位安田猛(サウスポーの軟投、人を食ったピッチングが印象的)
9位水谷新太郎(宮本の前の名遊撃手)
72年5位鈴木康二朗(一時代のヤクルトエース)
77年4位尾花高夫(この人もエースの一人)
81年8位小川淳司(野手としては一流ではなかったが、現監督は外せない)
88年4位飯田哲也(盗塁王)
95年4位石井弘寿(五十嵐とリリーフコンビで一時代を築いたサウスポー)
00年5位畠山和洋(現役、打点王)
03年4位青木宣親
そうそうたる下位指名名選手たちである。
特にドラフト初期は10人近い選手を取っている。武上が8位、浅野が9位、杉浦が10位とは驚きである。
多分当時はスカウトの情報収集力が弱く、よくわからんが取りあえず取ってみるか、というような感じだったのでは。
上記かなりの人数だが50年に及ぶドラフトであり、彼らの陰には一軍に一度も上がることなく消えていった選手がその何倍もいるのである。
そこで15年5位山崎晃太郎、16年4位中尾輝、17年6位宮本丈達、近年の下位指名選手、頑張れ!
歴史に残る選手になれ!
ああ、あの山崎とヤクルトファンでなくとも知られる存在になれ!

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