ヤクルトの過去のFA流出は?

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

世の中の動きが急なのか。今オフのNPBのポスティングやFA宣言する選手が急増したイメージがあります。

過去の全12球団のFAによる選手の流出数は122選手ですから1球団平均で10人。
その中でヤクルトは8人ですから格段に多いとは言えません。
一番多いのは西武の19人ですから、球団の体質があるのかもしれません。

今日はヤクルトから流出した8選手と入団した4選手を見てみましょう。
8人の内訳は広沢克己(巨人へ)・川崎憲治郎(中日へ)・稲葉篤紀(日ハムへ)・石井一久(西武へ)・相川亮二(DeNAへ)。以上の5選手は国内移籍した選手です。
海外(MLB)に移籍したのは吉井理人・高津健吾・五十嵐亮太の3選手です。
逆にヤクルトにFAで入団した4選手は相川亮二(横浜(現DeNA)から)、藤本敦士(阪神から)大引啓次(日ハムから)、成瀬善久(ロッテから)とこんな感じです。
流出した選手はヤクルトで当時は結構主力でしたが、入団した4選手がヤクルトでばりばり活躍したイメージはありません。広沢選手はヤクルトの4番で巨人でも4番を打ったりし、その後阪神に移籍しここでも4番を売ったりもしていました。
川崎は98年に18勝と最多勝も獲得した投手だったが、2000年にFAで中日入り後は故障続きで大きな戦力とはならなかった。

稲葉はヤクルトでも準クリーンナップ的な活躍していたが、日ハムで大化けして、4番打者に出世しました。その後侍ジャパンの監督になったことから考えればFA宣言が稲葉の人生を大きく変えたと言えるかもしれません。

石井一久に関してはこのブログでも何度も取り上げています。
ヤクルトから海外FAでMLBへ帰国しまたヤクルトへ再入団、更にFA権を得ると西武へ。最近は楽天の監督まで務めノムさん時代のお茶らけ振りから見ると中々の世渡り上手です。

相川もFAでヤクルトへ来て古田亡き後の扇の要を務め、またFA権を獲得するとDeNAに戻ったという義理堅い?選手でした。

吉井はもともとヤクルトにトレードで来た投手で、海外FA権を取るとさっさと米国へ渡り、現在はロッテの監督ですからこの方も海外経験をばねに出世しました。

高津も何度も戦力外になりながら米国・韓国・台湾と挑戦の場を求め続けました。
何度もヤクルトに戻り現在ヤクルトの監督ですから「ヤクルト愛」がかなり強い方です。
五十嵐はヤクルトからMLBに行き、戻るとソフトバンクに行きました。

前述の各選手を見るとヤクルトはFAなりで他球団や海外に出た選手を再度受け入れる度量の広さを持っているようですが、高津や石井を見ると選手本人からすると居心地の悪いところがあるのかもしれません。

Yahooスポーツの成績等を参考にさせていただいています

 

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