街頭テレビ 今は昔

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

女子ゴルフのニッポンハムレディースはタイのランクンが最終日にもスコアを伸ばし15アンダーで逆転優勝でした。
ランクンも19歳、若い才能が次々に花開いています。
河本結、稲見萌寧の日本の若手は及ばず12アンダーの2位タイでした。また頑張りましょう。
復活なるかと期待された韓国のイ・ボミは9アンダーの8位タイでした。

さて先日、ニュースショーをで「街頭テレビ復活」なんて聞こえてきて見ると、
7月7日に六本木交差点の大型ビジョンで新日本プロレスのG1クライマックスの棚橋Xオカダ戦を中継したそうです。

私の年代には「街頭テレビ」なんて本当に懐かしい。
そもそもテレビ放送は1953年2月にNHKが放送を始め、
同年8月に読売新聞をバックとする日本テレビが初の民放として放送を始めました。
ところが当時テレビ受像機は20万円以上、現在に換算すると800万円程度になりとても一般の
人々には購入できない金額でした。
テレビが普及しないとその広告料収入でまかなう民放は成り立ちません。
そこで、当時の読売・日テレのトップである正力松太郎はテレビ受像機をデパートや公園などに
設置することを始めました。
これが大当たりしたわけですな。
正力松太郎という人はたいへんなアイデアマンです。どこぞのナベ??とはえらい違いです。

当時まだまだ敗戦の痛手から脱却しきれていない日本人にとって、日本人で初めて世界チャンピオン
になったボクシングの「白井義男」の試合、白人コンプレックスになっていた日本人にシャープ兄弟を
その空手チョップでなぎ倒すプロレスの力道山等の姿に人々は熱狂しました。
他にも街頭テレビは大相撲や読売巨人軍の野球も中継しました。

それまで、直接試合場に行かなければ、ラジオの音のみの放送かレコードによる録音したものでしか
味わえなかった娯楽を一般庶民は街頭で見ることができるようになりました。

その後平成天皇と美智子様の結婚式の大フィーバーでテレビ受像機は一挙に家庭にも広がりました。

私は1955年生まれですが、子供時代に近所の公園に街頭テレビが設置してあった記憶があります。
また自宅にテレビがなかったので、ご近所にお邪魔して「月光仮面」なんて見させていただいた記憶もあります。
今は昔です。若い方々には想像もつかないかもしれません。
街頭テレビといっても、今の繁華街にある大型ビジョンではなく、
当たり前ですが、当時の街頭テレビは普通サイズのテレビ受像機でした。

今の街頭大型ビジョンはほとんどCMばかりですな。
よくドラマや映画では街頭ビジョンでテロリストが声明を読み上げたり、ショッキングなニュースを
流して群衆がそれに見入るなんてシーンがありますが、そんなことありませんな。

本日よりプロ野球公式戦後半の部が始まります。

ヤクルトは石川、巨人が桜井の先発予定です。前半戦の最後で、少し戻してきたヤクルトですが
全ては先発の石川の出来次第です。

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています



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