鈴木康二朗氏逝く
おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。
また一人元ヤクルト関係者が亡くなりました。
鈴木康二朗氏です。
若いヤクルトファンには馴染みがあまりないかもしれません。
一番の売りは「世界の王貞治に756号本塁打を打たれた男」というなんともなレッテルです。
高校・社会人経由で1972年ドラフト5位でヤクルトに入団。
同期のドラ1は永尾泰憲選手でショート・セカンドでまあまあの活躍をしました。
鈴木選手は身長が190CMのひょろっとした体形で眼鏡をかけ、右のスリークォーターでひょうひょうと投げるプレースタイルでした。
王選手に世界記録?を打たれたのが1977年でしたが、78年には37登板、32先発で186回を投げ、7完投、2完封、13勝3敗、1Sでヤクルトの初優勝に貢献しました。
当時のヤクルトの投手陣では大エースの松岡弘と左のエース安田猛に次ぐ3番手投手でした。
73年から82年までヤクルトに在籍、その後トレードで近鉄に移籍し、86年までNPB、その後は社会人野球に復帰し、その後は普通のサラリーマン生活を送っていたようです。
NPBでは81勝54敗、52S、3.68、近鉄では主に抑えとして活躍されました。
77年・78年・80年には二けた勝利を挙げています。
70歳でのご逝去ですからちょっと早い人生でした。
野村克也氏や張本勲氏のような大御所になれば、現役引退後も様々な形で野球業界に関わり人生を全うしていけますが(張本氏はまだ元気に活躍されています)先日からの門田博光氏や入来智氏そしてこの鈴木康二朗氏も現役引退後長い第二の人生で、野球に関われず、中には寂しい晩年を過ごす方もおられます。
ヤクルトの初優勝からすでに半世紀を過ぎ、当時の証人がまた一人亡くなりました。
鈴木康二朗氏に献杯
キャンプ中のヤクルトで塩見選手が下半身のコンディション不良でリタイアとなりました。この選手は入団から3年間は故障に悩まされ、そのポテンシャルを生かせませんでしたが、21年からガラスの肉体を克服?、レギュラーの座を獲得し、打って走れて守れる1番センターに定着し、今回のWBCメンバーにもえらばれるのでは、という下馬評もあったくらいでしたが、(どの程度の故障かは不明ですが)これで下手をするとWBCどころか開幕にも間に合わないかもしれません。
この塩見選手はヤクルトでは中村・奥川・高橋と並んでガラスの肉体カルテットです。
重い故障でないことを祈ります。
今日のロッテとの練習試合に佐々木朗希投手が登板するようです。村上選手とのWBCメンバー対決が見ものです。
数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています