入来智氏逝く

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

入来智氏が交通事故で亡くなりました。55歳でした。
日本人の平均寿命からすれば早すぎる、しかし波乱万丈で、晩年は寂しい人生でした。

入来投手は高校・社会人経由で1989年ドラ6で近鉄に入団、近鉄では6年間で17勝17敗、2Sという感じで並の投手でした。96年に広島の吉本投手と交換トレードで1年後にまたこの2選手を返却交換するというドタバタを演じています。
99年に巨人にトレードされ当時巨人に在籍した弟の祐作投手とチームメートになりますが、2年で戦力外、ヤクルト再生工場入りです。
2001年には完全再生が成り、24登板、20先発で125.1回を投げキャリアハイの10勝を挙げ(3敗)、防御率2.85で若松監督のリーグ優勝の大きな原動力になりました。
02年オフにヤクルトを戦力外になった後、韓国プロ野球(KBO)に日本人選手として初めて入団、翌年は台湾球界に所属しました。

結局NPBでは12年で214登板、35勝30敗、2S
KBOでは1年で39登板、7勝11敗、5S
台湾は1年で11登板、4勝6敗で現役生活を終えました。

生来の浪費癖と元妻とのどろどろの離婚訴訟からの年俸差し押さえなどで、経済的に苦しみ、最後は宮崎で介護職員として働いていたようです。

再々言っていることですが、60歳70歳まで働こうと思えば働けるサラリーマンとは違い、華々しいしかしその選手寿命が短いアスリートの現役引退後は大変です。
ノムさんのように現役引退しても一流解説者として引っ張りだこになり、その後ヤクルトの黄金時代を築く一流指導者となって晩年までマスコミにも大もての人生でした。
そのノムさんに匹敵する成績を上げていた門田博光氏の寂しい晩年は以前に書きました。

入来氏は浪費癖と離婚騒動はある意味身から出た錆ですが、特にプロ野球選手はその華麗な選手人生、選手によりけりですが5年から15年をその働きの対価でとして我々が驚くような年俸を手にするわけですが、それは決して永続するわけではなく、ある時選手生命は終わり、多くの選手はそこから第二の人生(こちらの方が今までの人生より基本長い)を過ごさねばなりません。現役時代の巨額の?年俸はその第二の人生を生き抜く大事な支えです。
あまり余生を考えて選手生活がせこせこしてもいけませんが、ドラ1で1億円の契約金なんて舞い上がらず、選手生活を燃焼しつくすのも大事ですが、「お金は大切に」です。

入来智氏に献杯

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています

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