プロ野球選手の限界 2 宮本慎也
おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。
角富士夫氏が東京国際大学の野球部の監督に就任というニュースが入りました。
数日前には田中浩康氏が名門早稲田大学野球部のコーチという話もありました。
田中氏はもともと早稲田出身ですからわかりますが、
数年前に桑田真澄氏が東京大学の野球部コーチに就任した時はびっくりでした。
とはいえ、プロ球界を引退した選手がアマ球界に何らかの形で関われることは、
野球一筋で生きてきた選手にとってはとてもよいことだと思います。
さてプロ野球選手の限界をヤクルト選手で見てみましょう。
若松勉 47年4月生
86年 39歳 459打席
87年 40歳 81打席
88年 41歳 75打席
89年 42歳 55打席
40歳になって、代打専門になりました。
古田敦也 65年8月生
05年 40歳 357打席
06年 41歳 98打席
07年 42歳 19打席
06年からは監督との兼任となったこともあり、40歳までが選手としては限界でした。
宮本慎也 70年11月生
11年 41歳 518打席
12年 42歳 394打席
13年 43歳 259打席
08年 38歳からショートからサードに守備位置を変えています。
ショートはやはりきついんでしょう。
42歳から徐々に出番が減っています。
43歳で引退する年まで200打席を超えて出場していた、
ということはプロ入りが25歳からとスタートが遅かったこともありますが、
引退する年まで250超の打席に立つとは、チーム事情もありますが、
ヤクルトの鉄人です。
池山隆寛 65年10月生
98年 32歳 455打席
99年 33歳 225打席
00年 33歳 175打席
01年 34歳 85打席
02年 35歳 48打席
池山選手は高校卒後プロ入りしたのでスタートは早く33歳から出番が減り、35歳で引退です。
池山選手の代名詞ブンブン丸の真骨頂本塁打30本超えは88年から92年までの22歳から26歳までです。
私の言った、25歳から30歳までがピークで35歳で一丁上がり、に近いキャリアでした。
前にも言いましたが、プロ野球選手は高校から18歳でプロをスタートする選手と、
古田選手のように大学社会人を経て25歳からプロをスタートしている選手では7年の違いがあり、当然選手生命に響いてきます。
あと投手の場合は野手より選手生命は短く思えます。
明日は投手の限界を見てみましょう。
カウントダウン: ヤクルト オープン戦スタートまで16日
上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています