初優勝までの道のり 広岡監督
2018年10月20日 2019年6月29日
ヤクルトけんちゃんです。
前文で長く苦しいと書いたのは、1969年にファンになって1978年に広岡監督の下、初優勝した時に終わったのではない。
その間私は高校生大学生社会人と進んだが、特に高校時代はクラスメートのほとんどが巨人ファン、
ヤクルトファンの私はクラスメートからさんざん馬鹿にされたものであった。
(当時巨人は9連覇中、ヤクルトはBクラスが指定席で、最下位をも何度も味わっていた)
初優勝時の打線はすごかった。若松マニエル大杉と続くクリーンナップに代打の切り札伊勢。
思えばヤクルト優勝時は常に強力打線に支えられて何とか投手陣が踏ん張るという図式であった。
初優勝もつかの間、翌年は指定席の最下位(これはベイスターズも同じようなパターンを踏んでいる。)
この後ヤクルトは1990年代の野村監督の登場まで長い雌伏の時を過ごすのであった。