高津監督続投

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

少し前までネットでは「高津監督辞めろ」的な意見も散見されましたが、高津監督の続投が決まりました。
今年は3年契約の2年目ですから、いくら2年連続5位になりそうだからとはいえ、ヤクルトは来年も高津監督に采配を預ける義務があるわけです。
今年の西武石井監督とか、中日依田監督はチームの不振を盾に詰め腹を切らされた格好です。
もし3年契約の途中にも拘らず、高津監督が責任を取ってなんてことになると、何のための3年契約?ということになります。
監督も選手もそうですが、いくら実力の世界とはいえ、彼らも人間として生活しているわけです。
複数年契約をうのみにして港区にタワーマンションを買って借金することもあるでしょう。
さて今日は高津監督が果たして辞めるに値する指揮官なのかどうかという点をちょっと検証してみます。

ヤクルトは最近こそちょくちょくセリーグ制覇したりしていますが、その50年を超える歴史でほとんどがいわゆるBクラス(4位~6位)で長らくセリーグのお荷物球団だったわけです。そこは現在のヤクルト・中日に被ります。
そのヤクルトをまず変えたのが76年~78年に指揮を執った廣岡監督です。76年と78年はシーズン途中の交代のため76年5位、77年2位、78年1位、79年6位がヤクルトの最終成績でした。
廣岡監督はそれまでのセリーグのお荷物でぐーたら選手の集まりだったヤクルトに活を入れ、麦飯を無理やり食べさせて選手の体質改善を図ったり しました。この辺は鬼軍曹で選手たちから総スカンを食らった宮本慎也ににています。
これによってBクラスの常連だったヤクルトが優勝までしたわけで、廣岡監督よってヤクルトは変わりました。
次は野村監督です。90年から98年までの9年間指揮を執り、その間の成績はセリーグ優勝4回、4位3回他でした。間違いなくヤクルトの黄金時代です。
野村監督のデータ野球が愛弟子の古田捕手とタッグを組んで、ヤクルトに大輪の花を咲かせたわけです。私が常づね言っているヤクルトのドラフト下手ですが、当時は古田89年ドラ2、川崎88年ドラ1、広沢84年ドラ1、池山83年ドラ3、高津90年ドラ3、石井一91年ドラ1と野村ヤクルトを支えたスター選手が続々とドラフトで入団したわけです。
若松監督は99年から05年までの監督です。その間は優勝1回、Aクラス3回、4位が3回です。この若松監督の後を継いだ古田監督もノムさんの遺産を食いつぶした放蕩息子とも言えます。
その次は真中監督です。15年に優勝。16・17年はBクラスでした。
2015年は山田哲人本塁打、畠山打点、川端首位打者と1チームで三冠を独占する、(他にバレンティンもいたわけです)強力打線でセリーグを制しました。しかし打線が主のチームは長続きしません。
そして高津監督は20年から采配を取り、20年は前年に続き最下位、21年1位、22年日本一となりましたが、その勢いもそこまで、23年は5位、24年は5位以下です。
高津監督は5年で2度の優勝ですからヤクルトにノムさんを除いて複数回優勝した監督はいないわけで、そういった意味で、名将・名監督と呼ぶにはちょっとなんですが、決して実績で劣っているとも思えません。
高津監督の評価は来期ヤクルトをどこまで復活させられるかです。
Yahooスポーツの成績等を参考にさせていただいています

 

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