大相撲 外国人力士の系譜

おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。

ここ数十年、大相撲では外国人力士が優勝するのが当たり前で、
たまに日本人力士が優勝すると大騒ぎになります。
今日は外国人力士の系譜を優勝を基に辿ってみます。

外国人力士として最初に優勝したのは高見山(72年7月)です。
ハワイ出身力士の草分けです。
その前にはトンガ出身の力士が大挙して入門しましたが、大成せず
中にはプロレスラーとなって、米国で活躍したトンガ出身力士もいました。

その高見山は最高位関脇で、優勝も1回でした。
体格・体力的には優れていましたが、足が長く腰高を直すことはできませんでした。

次の外国人優勝力士は89年11月の小錦です。
小錦は91年92年にも1回づつ計3回優勝しました。(最高位大関)
そのあとは曙・武蔵丸時代です。(最高位横綱)
92年5月から02年9月までに二人で23回優勝します。(全63場所中)
この期間は貴乃花の全盛期ともかぶり、ハワイ出身力士と貴乃花を筆頭とする二子山部屋勢との
激闘が続きました。

02年11月に朝青龍が初優勝、モンゴル勢時代の到来です。
ここから日本人力士の優勝が激減します。
06年1月までに、日本人優勝力士は
03年3月千代大海、7月魁皇、11月栃東、04年9月魁皇、06年1月栃東,これ以降15年11月まで
11年間日本人力士の優勝は絶えます。

16年1月の琴奨菊の優勝で日本中が大騒ぎになりました。
朝青龍・日馬富士の不祥事による引退。
白鵬の力の衰えにより、モンゴル力士群の寡占状態は解消され、
16年9月豪栄道、17年1月3月稀勢の里、18年7月御岳海、11月貴景勝と少しづつ日本人力士も
優勝できるようになってきましたが、唯一モンゴル人横綱と互角以上に戦えた稀勢の里が負傷から
立ち直れず引退してしまったのは、残念です。

モンゴル人力士も高齢化し、若手で有望だった照の富士が故障で幕内から外れた今、
貴景勝・御岳海らの日本人若手有望力士の時代に移りつつあるのかもしれません。

上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています

 

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