門田博光氏死去
おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。
門田博光氏が逝去されました。74歳でした。
門田氏は歴代3位の通算本塁打・通算打点の記録を持つNPBのスーパースターでした。
本塁打ランキング
1位 王貞治 868本
2位 野村克也 657本
3位 門田博光 567本
打点ランキング
1位 王貞治 2170打点
2位 野村克也 1988打点
3位 門田博光 1678打点
しかし上記の数字を見るとやはり王貞治氏がいかに偉大だったかがわかります。
ちなみに王選手は22年、野村選手は26年、門田選手は23年のプロ生活での成績です。
ヤクルトの村上選手はプロ5年で160本塁打、430打点を挙げており、この先
村上選手が日本でのプレーを続けると、単純計算ですが王選手に近い数字を叩き出せることになります。
門田選手は1970年当時の南海ホークス(現ソフトバンク)に入団、野村克也氏の監督就任1年目でした。
入団時は俊足・好打・攻守と3拍子揃った外野手でした。
入団2年目の1971年には120打点で打点王に輝いています。
しかし1979年にアキレス腱を断裂し、選手生命の危機に瀕しましたが、そこから復活、翌1980年には41本塁打を放ちカムバック賞を獲得。81年には44本塁打で初の本塁打王を獲得しています。
この門田選手の復活にはパリーグで1975年から始まったDH制によって守備に就かなくても現役続行を可能としたことが大いに与かっています。プラス「足に負担をかけなくて済む」ということで一段と本塁打狙いに走ったこともあるようです。
これによって選手寿命を延ばし1988年に40歳で44本塁打で本塁打王、125打点で打点王の2冠と「不惑の本塁打王」なんて異名ももらっています。
当然本塁打狙いとなると三振も多くなるわけで、通算三振数は
王選手1319三振、野村選手1478三振、門田選手1520三振です。
一概に比較できないので、通算打席数を三振数で割った数値を出しました。
王選手9.0打席/三振、野村選手8.1、門田選手6.8
ここでも王選手の非凡さが際立ちます。
ちなみに村上選手は4.2打席に1三振です。この点ではまだまだ日本のレジェンドたちに大きく差をつけられていることがわかります。
門田選手がこれだけの成績を残しながら王選手・野村選手ほどには有名にならなかった理由の一つは現役引退後NPBの監督はおろかコーチにもならなかったことも大きいかと思います。
それぞれの選手によってさまざまな事情があったのでしょうが、現役時代のビッグネームが必ずしも監督やコーチになっていないケースは枚挙にいとまありません。
門田氏も通報を受けた警察官が死亡している門田氏を発見、というその現役時代の華々しさからすれば寂しい晩年でした。
門田博光氏に献杯
上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています
門田博光氏のご冥福をお祈りします。
韓国でも今月21日に김영덕(キム·ヨンドク. 金 永徳:日本名-金彦 任重)さんが死去されました。
キムさんは南海ホークスで投手として活躍し、母国の韓国に戻って選手生活と監督生活を送った人です。
そして백인천(白仁天)さんも重篤な状態です。白さんは東映フライヤーズから近鉄バファローズまで19年間活躍した選手でした。
韓国プロ野球は日本プロ野球から技術を伝授されましたが、この方々が多大な貢献をしました。
徐々に、一時代が暮れている感じがします。
MONTE CRISTO様
コメントありがとうございます。
白仁天選手は覚えています。
当時私の父が東映フライヤーズの水原監督のファンで、白選手の名前も記憶しています。
白選手はずいぶん長くNPBでも活躍されていたのですね。
その後は逮捕されたという報道を見たくらいでした。日韓の球界でずいぶん苦労されたようですね。
ヤクルトけんちゃん