選手のピークとは
おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。
内村航平選手(体操)が引退しました。
内村選手は2012年と16年のオリンピックの体操個人総合で金メダルを取りました。23歳と27歳の時です。
世界選手権では09年から15年まで金をとり続けました。20歳から26歳までの期間です。
女子レスリング界では伊調馨選手なんてオリンピックで4連覇したわけで、最低でも13年間は世界のトップだったことになります。
これは伊調選手が20歳から36歳までの記録です。
内村選手を見ると20台前半がピーク。伊調選手だと30代半ばまでピークが続いています。
もちろんアスリートによって個人差がありますが、もう一つのポイントは女子レスリング界と体操界の違いです。
女子レスリングはオリンピックで日本人選手が金メダルをとりまくることでわかるように、世界的には非常に
選手層の薄い、しかし日本では吉田沙保里選手等の活躍があり、女子アスリートにとって競争の激しいジャンルになっています。
プラス柔道同様細かい体重制があり少ない競技人口が余計細分化されるわけです。もちろん伊調選手の偉業は大変な
金字塔ではありますが、一概に伊調選手のピークを図ることは難しくなっています。
一般的にアスリートの体力的なピークは20台前半までその状態が30歳まで続き、30台に入ると徐々に落ちていきます。
しかしその競技にとって体力は勿論重要ですが、技とか技術というものがあり、これは経験と共に円熟味を増すというか、
プロ野球選手の場合も確実に20代前半の選手が30代の選手を凌駕するとは限りません。
今日はレジェンド打者でそのピークを見てみましょう。
まずは「世界の王貞治」選手です。
王選手は高卒で19歳から40歳までの22年間現役でプレーしました。
73年と74年に3冠王を取っています。24歳と25歳時です。
王選手と言えばホームランです。62年(22歳)から77年(37歳)まで1年を除いて本塁打王を取っています。
王選手はある意味怪物的な存在だったのでそのピークは長かったのでしょうが、本当のピークは三冠王を
取った20代半ばだったのでしょうか。
それではヤクルトのレジェンドを取り上げます。
まずは若松勉選手です。高校から社会人経由でヤクルト入り、71年(24歳)から89年(42歳)までの19年間現役でした。
72年と77年に首位打者を取ったことから25歳から30歳までがピークだったのかなと思います。
古田敦也選手です。大学・社会人経由で25歳からプロのキャリアを始めました。
90年(25歳)から07年(42歳)までの18年間の選手生活でした。
古田選手は首位打者も取り(91年、26歳)、2000本安打も達成しています。
91年(26歳)から04年(39歳)までシーズン100安打以上打っています。
93年(28歳)には161安打でセの最多安打と97年(32歳)の164安打がキャリアの150安打以上です。
プロのスタートが遅い分ピークもずれます。20代後半から30代初めまでがピークだったようです。
池山隆寛選手は高卒で84年(19歳)から02年(37歳)まで現役でした。
池山選手と言えば豪快なホームランです。
88年(23歳)から92年(27歳)まで年間30本塁打以上を打ちました。93年は24本塁打でそれから
どんどん本塁打数が減ったことを考えるとそのピークは20台ということになりそうです。
高卒でスタートが早く、守備もショートという激務だったことを思うと、消耗も激しかったのかな、
と思われます。
宮本慎也選手は大学・社会人経由で95年(25歳)から13年(43歳)の19年間の現役生活でした。
宮本選手と言えばその華麗なショートの守備ですが、ショートのレギュラーだったのは
97年(27歳)から07年(37歳)です。その後はサードに守備を移しました。
宮本選手は2000本安打も達成しましたが、97年(27歳)から
11年(41歳)までシーズン100安打以上を(2年間は除いて)続けました。
また宮本選手と言えば送りバントの名手ということで、01年(31歳)の67犠打はNPB記録です。
ヤクルトのレジェンドたちのサンプリングが池山選手を除いては社会人経由ということで
そのキャリアのスタートが遅くなり正確なジャッジにはならないかもしれませんが、
それでも見る限り20台後半が選手としてのピークだった様に思えます。
次回は投手で見てみましょう。一般的には投手の方が野手より選手寿命は短いはずですが。
上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています