二世?二代目?

今年の夏の甲子園では東北旋風とともに、慶応高校の活躍が目につきました。
その中でも清原ジュニアが話題になりました。甲子園の大スターだった父親とは違い控えレベルの選手でこの先どのように変身するかはそれこそわかりませんが、今までのところでは偉大なる父親には遠く及びません。

二世というとハワイやブラジルに移民した日系人を思い浮かべます。親の代のいわゆる一世は新天地で一旗揚げようと慣れない土地で言葉もわからず大変な苦労をされたわけです。二世の方々も苦労はされましたが、言葉は理解できて現地の生活にもなじんでいったわけです。親の代の苦労から見れば少しは楽になったのでしょうか。

話は変わりますが、昔室町幕府とか徳川幕府なんてものがあり、幕府の創設者である足利尊氏や徳川家康は歴史に名を遺すいろいろな意味で大物だったわけです。しかしこれらの幕府がその後長く続いたのはそれぞれの3代目将軍足利義満や徳川家光がこれまた強力な政治家だったことが大きな要因でもあります。ところでその間に挟まる2代目将軍はともに初代よりはるかにスケールが小さく、偉大なる父親の陰に隠れ、自分が将軍になっても初代からの番頭みたいな取り巻きが結構な力を持っていて、思ったこともできなかった、ところがあるようです。

かように二代目とか二世はある意味親に保護され苦労知らずで育ったけれども、何かというと偉大な親と比較されて力を発揮できずに終わるケースが多いようです。
そこでプロ野球業界の話に戻ります。
前述の清原ジュニアはまだ結果が出ていませんが、二世で有名なところでは長嶋茂雄ー一茂親子、野村克也ー克則親子がいます。
それぞれ父親はNPBの歴史に数々の金字塔を打ち立て、それぞれが監督になった後でも巨人とヤクルトのセリーグ覇権争いをしたことで有名です。
彼らの二世はというと、長嶋一茂は父親同様立教大学の4番打者で、87年のドラフトでヤクルトと横浜(今のDeNA)の競合で、ヤクルトが獲得。(昔からヤクルトは多分現場より営業の声が強いのでしょう。有名(タレント)選手大好きです)
ヤクルトでは4番を打ったりもしましたが、4年間で13本塁打、61打点、.218と偉大だった父親の足元にも及ばない成績で、当時巨人の監督を務めていたパパ長嶋に呼ばれて巨人に移籍しここでも4番に座ったりもしましたが、こちらも3年間で終わり、結局NPBでは7年間で18本塁打、82打点、.210ととほほな成績で終わり、その後は格闘家になろうとしたり、俳優のまねごとをしたり迷走、現在はバラエティ番組の辛口?コメンテーターの座に安住しています。

一方の野村ジュニア克則は明治大学ではそこそこのプレーヤーでしたが、プロ入りに際しパパノムさんからは「プロでやっていく能力無い」と言われたにもかかわらず、プロ志向を貫き、当時ノムさんが監督を務めるヤクルトがこれも営業政策で95年のドラ3で指名。当時のヤクルトには古田正捕手がいて、サブで野口寿浩もいたため、ほとんど出番はなく、2年でノムさんのヤクルト監督退任とともに阪神にトレードされその後巨人楽天と転々としましたが、結局プロ9年間で222試合、386打席で4本塁打、17打点、.185で現役生活を終えました。しかしその後はコーチとして多くの球団で若手の指導に当たり、現在も阪神二軍バッテリーコーチを務めているわけですから、指導者としての才能はあった、ということかもしれません。

芸能界では子が親をしのぐなんてことはままありますが、芸能界は必ずしも演技力や歌唱力のみで評価されるわけではありません。しかしことプロ野球業界ではいくら偉大なる父親の引きや球団の営業政策でプロ入りできても実力が伴わなければ早晩淘汰されてしまうわけです。
前述の幕府の2代目将軍のように、偉大なる父の陰に隠れた2代目にはどうしてもひ弱さが目立ちハングリー精神に欠けます。
そこを清原ジュニアが乗り越えられるかどうか、勝負はこれからです。

上記数字は各選手個人のWIKIPEDIA 及びTahooスポーツの成績等を参考にさせていただいています

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